日本基督教団

小金井緑町教会が所属する日本基督教団は、1941年6月24日に当時のプロテスタント34教派の合同によって成立しました。この背景には戦争目的遂行のために1939年に制定された「宗教団体法」の外圧がありましたが、内には教派協同伝道に見られる超教派的指向もありました。
戦争中は厳しい国家統制の中でキリスト教は数々の圧迫を受けました。戦後、1945年に宗教団体法は廃止され、その翌年には日本国憲法が制定されて、政教分離、信教の自由が確立しました。
教団は米国諸教派との交わりを回復し、その援助を受けつつ再建復興に当たるとともに、新日本建設キリスト運動を起こしました。その後、1954年には「日本基督教団信仰告白」を制定、同年「讃美歌」の改訂、1955年には「口語訳聖書」の完成出版、1961年に「宣教基本方針」を決定しました。さらに、1967年には教団総会議長の名によって「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白(戦責告白)」を公にしました。この告白は、先の大戦時における教団のありかたを反省し、教団の体質改善を迫ったものでした。
その後、1969年に沖縄キリスト教団と合同し、現在は全国に17教区、約1700の教会、2000名の教師、20数万名の信徒から構成される、わが国のプロテスタント諸教会の中で最も大きな教団です。最近ではカトリック教会との交わりも進み、1987年には共同で「新共同約聖書」を完成させました。これまで歩んできた歴史からも分かるように、私達の教団は、地の塩、世の光としての責任と使命を果たすために、信徒の祈りと共に進んでいます。
小金井緑町教会は、17教区のうち東京都の中野区・杉並区・市部・郡部からなる「西東京教区」に属しています。西東京教区には98の教会・伝道所があり、相互に連携して、東京西部地域の宣教に努めています。

正式名称は「日本基督教団」ですが、「日本キリスト教団」と称してもよいことになっています。


「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」

わたくしどもは,1966年10月,第14回教団総会において,教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは,これを主題として,教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え,また祈りました。
まさにこのときにおいてこそ,わたくしどもは,教団成立とそれにつづく戦時下に,教団の名において犯したあやまちを,今一度改めて自覚し,主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。
わが国の政府は,そのころ戦争遂行の必要から,諸宗教団体に統合と戦争への協力を,国策として要請いたしました。
明治初年の宣教開始以来,わが国のキリスト者の多くは,かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが,当時の教会の指導者たちは,この政府の要請を契機に教会合同にふみきり,ここに教団が成立いたしました。
わたくしどもはこの教団の成立と存続において,わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え,深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。
「世の光」「地の塩」である教会は,あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ,キリスト者の良心的判断によって,祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
しかるにわたくしどもは,教団の名において,あの戦争を是認し,支持し,その勝利のために祈り努めることを,内外にむかって声明いたしました。
まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき,わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって,この罪を懺悔し,主にゆるしを願うとともに,世界の,ことにアジアの諸国,そこにある教会と兄弟姉妹,またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
終戦から20年余を経過し,わたくしどもの愛する祖国は,今日多くの問題をはらむ世界の中にあって,ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは,教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく,日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように,主の助けと導きを祈り求めつつ,明日にむかっての決意を表明するものであります。
      1967年 3月26日 復活主日

日 本 基 督 教 団             .
総会議長  鈴  木  正  久    .