組織神学とは

当教会の礼拝に出席しておられた神代 真砂実先生に寄稿いただきました。
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 組織神学とは
神代 真砂実 (東京神学大学学長)       
 「組織神学」と聞いて、何をやる神学なのかと、とまどわれるかもしれません。神学の分野には他に聖書神学(もちろん、その中で旧約と新約とに分かれます)、歴史神学、実践神学といったものがあります。これらについては、組織神学に対するほどのとまどいはないでしょう。「聖書神学」というのであれば、それが扱うのは聖書だと見当がつきます。「歴史神学」と言われれば、(教会の)歴史を扱うらしいと察することができるでしょう。「実践神学」なら、教会の実践にかかわる学問だろうと、何となくわかるはずです。名前から、ある程度の想像がつくのです。
 こう書いてくると、「組織神学」と聞いた場合のとまどいの理由がわかってきます。今のような考え方をしていくなら、「組織神学」というのは「組織」なるものを扱うのだろうけれども、その「組織」というのは、一体、何なのだろうか、というわけです。人間の組織、例えば、教会のことだろうか、それとも他の何か(と言っても、見当がつかない…)という具合になります。こうして、「組織神学」はわからなくなるのです。
 残念ながら、そしてまた幸いなことに、組織神学は「組織」を扱う神学ではありません。「組織神学」と言う場合の「組織」とは、対象のことではなくて、考え方あるいは取り組み方(アプローチ)のことを指しています。「組織神学」は英語で言えば「systematic theology」となります。ですから、「組織」というのは「system」、つまり、「体系」ということなのです。「組織神学」とは、こういうわけで、基本的には「体系的に考える神学」のことです。
 
 ところで、英語の「system」という言葉はギリシャ語で「結合する」という意味の言葉から来ているとされています。ですから、体系的に考える組織神学の課題は、この「結合する」作業にあると言えるでしょう。
一方で、聖書に記されているキリスト教信仰の内容には、ある多様性があり、場合によっては矛盾するようにさえ感じられることすらあります。矛盾を矛盾のままに放っておいてはバラバラになってしまいます。それでは「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって」(エフェ4:5~6)と言われていることに適わないでしょう。そこで、聖書の証言から引き出されるキリスト教信仰の内容を関連づけ、結びつけて、大きな全体に整えることが必要になります。これが組織神学の「結合する」作業の第一の側面であり、その具体的な表現であり、かけがえのない遺産として、基本信条(使徒信条やニカイア・コンスタンチノポリス信条など)や諸信仰告白(私達にとっては、もちろん、日本基督教団信仰告白が中心になります)があるわけです。
   
 さてしかし、そうした信条や信仰告白で明らかにされている、まとまりのある形でのキリスト教の信仰内容は、いくつかの箇条・項目から成っています。使徒信条で言えば、父なる神への信仰・子なる神への信仰・聖霊なる神への信仰という大きな枠があり、さらに、その中に重要な項目が盛り込まれているのは言うまでもありません。そうすると、今度は、そうした個々の項目を「結合する」必要が出てきます。つまり、信条や信仰告白で語られている事柄の、その深いところに秘められている連関を引き出し、考察する作業が必要になってくるわけです。こうなると、先程の「体系的に考える神学」という意味が一段とはっきりとしてきます。これが、組織神学の行なう結合作業の第二の面と言えるでしょう。
 こうして生まれてくるのが、組織神学の中の一分野、しかも第一の主要な分野としての「教義学」(英語であれば、dogmatics)であると言ってもいいのですが、もう少し丁寧に語らなければなりません。ここに第三の結合作業が隠れているからです。それは何かというと、キリスト教の信仰内容と現代の私達の思考や言語との結びつきを図るということなのです。言い換えれば、キリスト教の信仰内容を今日の言葉(概念)を使って語るということです。教義学は、この第二と第三の結合作業の産物です。つまり、教義学は、ただ過去から受け継がれてきたキリスト教の信仰内容を繰り返して語るというのではなく、その信仰内容を今日の思想の状況を踏まえながら、体系的に表現するもの、です。(ややこしい話ですが、この教義学の本でありながら「組織神学」と名乗っているものがあります。ご注意下さい。)
 教義学が扱うのは、大きな項目で言えば、啓示・聖書・神(三位一体)・創造・人間・罪・キリストの人格(イエス・キリストの「真の神にして真の人」という存在のこと)と業・義認と聖化・教会・聖礼典・終末といった事柄です。こうした項目の中で、さらに細かな問題が扱われます。こうした諸項目全体を網羅した体系としての「教義学」と同時に、特定の項目や、さらにその中に含まれる主題を扱う研究もあります。
   
 教義学に続く組織神学の第二の主要な分野として伝統的に認められてきたのが、「キリスト教倫理学」(英語で言えば、Christian ethics)です。キリスト者として、どのように生きるのか、その規範は何か、また、個別的な問題に対する態度決定を助ける研究などが、ここに含まれます。これもまた、組織神学の一分野として、あの「結合する」作業だと言えるかもしれません。私達は具体的な時代と場所で生きているわけで、キリスト教信仰をひた隠しにしているのでない限りは、自分の信仰と日常生活のさまざまな場面とのかかわりを考えないわけにはいかないはずです。そこで、信仰から、どのような判断や行動が導かれるのかを考える必要が出てきます。信仰と生活との結合。それがキリスト教倫理学の課題です。
 教義学と同様に、キリスト教倫理学の場合でも、いろいろな項目が扱われます。しばしば、個人倫理と社会倫理とを区別して論じることがありました。あるいは、倫理の規範は何なのかということを論じることもあります。医療や戦争(暴力)や政治・経済の問題についても論じることができます。
   
 組織神学の第三の主要な分野は、弁証学(「護教論」などという言い方もあり、英語ではapologeticsと言います)です。既に教義学との関係で、キリスト教の信仰内容と現代の私達の思考や言語との結びつきを図るということを言いましたが、特にこの点に重点を置いているのが弁証学です(ということは、教義学はキリスト教の信仰内容の体系的な把握に、より重点があると言ってもいいてしょう)。
 弁証学は、今日の社会や思想の状況を踏まえ、それに適合した仕方でキリスト教の使信を語ろうとします。あるいはまた、キリスト教に対する無理解などから出てくる批判に対して答えようとします。今日、この分野で最も興味深い主題の一つは、おそらく、キリスト教と他宗教の関係ではないかと思います。その他、無神論の問題や世俗化の問題などが扱われます。この分野は、その性格上、時代・状況によって、いろいろな変化をしてきました。これからもそうであるに違いありません。
   
 以上が組織神学の三つの主要分野ですが、最後に確認しておきたいのは、これら三つもまた、バラバラではないというところです。教義学とキリスト教倫理学との関係で言えば、「私達が何を信じているか」は「私達はどう生きるのか」ということと切り離せません(もし、切り離せるとしたら、心の中で信じているだけで、生き方には何の影響も持たない信仰になってしまいます。そのようなことは、聖書に照らしてみても、考えられないことです)。また、今も見たように、弁証学は既に教義学の中に含まれている要素(その時代への応答)を特に強く意識したものです。ですから、キリスト教倫理学と弁証学とは教義学から切り離せないのです。こうした関連・結びつきを持つ三つの主要分野を持つのが組織神学です。
   
 ついでながら、しばしば「神学」という言葉は「組織神学」(さらには「教義学」)という言葉と同じ意味で使われてきました。組織神学は、その意味で神学諸学科全体の要の位置にあると言えるかもしれません。


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神代 真砂実(こうじろ まさみ)先生略歴
1984年 国際基督教大学卒業
1987年 東京神学大学大学院博士課程前期課程修了
1987~1991年 日本基督教団 富士見町教会伝道師・副牧師
1991~1993年 プリンストン神学校(米国・ニュージャージー州)に留学
1993~1997年 アバディーン大学(英国・スコットランド)に留学
1998~2000年 日本基督教団 相武台教会牧師(代務者)
1998~2001年 東京神学大学常勤講師
2000年~2003年 日本基督教団 牛込払方町教会牧師(代務者)
2001年~2006年 東京神学大学助教授
2006年~2023年 東京神学大学教授
2023年~ 現在 東京神学大学学長

最終学位 Ph.D.(アバディーン大学)
       学位論文題 “God's Eternal Election in the Theology of Karl Barth.”
所属学会  日本基督教学会

専門分野  組織神学(教義学)
関連分野  組織神学(倫理学・弁証学)
長期研究テーマ
        カール・バルトの神学思想
        予定と普遍救済
        信仰とは何か
        日本人とキリスト教
短期研究テーマ
        三位一体論

著書・発表論文
   『ミステリの深層――名探偵の思考・神学の思考』(教文館、2008年)
  「信じることの倫理性」(『神学』60号〔1998年〕)
  「裏切りについて」(『神学』62号〔2000年〕)
  「カール・バルトの神学における神の永遠の選び(1)~(4)」(『紀要』6~9号〔2003~06年〕)
  「経綸的三位一体は内在的三位一体である――カール・ラーナーの命題と、その四つの展開」(『神学66号』〔2004〕)
  「カール・バルトにおける『神の像』の問題」(『神学』67号〔2005年〕)
  「トマス・アクィナスにおける『信仰』の問題」(『神学』68号〔2006年〕)
  「『実体的現臨』をめぐって――D・ベイリー、M・ヴェルカー、T・F・トーランス」(『神学』69号〔2007年〕)