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[聖書]
「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。」
(ルカによる福音書 2章6〜7節)
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 2017年のクリスマスを迎えるにあたって、神さまの祝福が皆さまの上に豊かにありますよう、祈り願います。

 クリスマスは、すべての人を救うために神の御子が人となってお生まれになったことをお祝いする時です。クリスマスの主人公は「イエス・キリスト」です。しかし、その主人公は生まれたてで、ただ布にくるまれて、飼い葉桶に寝かせられていると記されているばかりです。できることと言えば、泣くことくらいだったでしょう。聖書はとても簡潔に出来事を記しますので、赤子のイエスさまが泣いたという記述は出てきません。しかし、私たちと同じ人としてお生まれになったなら、きっとオギャーオギャー泣いておいでだったことでしょう。新米ママのマリアさんも、新米パパのヨセフさんも、どうしていいのかわからず、あたふたしている情景を想像すると、何とも微笑ましくなってきます。
 主人公のイエスさまは、普通の乳飲み子として、ただ泣くしかなく、マリアやヨセフの世話になり、その保護に身をまかせるしかない、本当に小さな存在です。小さな灯し火皿に灯された、小さな灯し火のようです。一吹きでかき消されそうな小さな存在です。クリスマスの主人公は、小さな赤子のイエスさま。その小さな小さな存在が、不安や恐れや迷いの深い闇に落ち込んでいる人たちに、光となり、勇気と力を与えるとは、驚くことだと思います。超人的なヒーローが活躍して、人々を力づけるのではありません。
 2003年のアニメ映画に『東京ゴッドファーザーズ』という作品があります。今敏(こん さとし)という監督(残念ながら2010年に46才という若さで亡くなっています)が作られた作品です。簡単にご紹介したいのですが、新宿の公園でホームレスとして生活していた三人組が登場します。銀ちゃんとオカマ(作品での表現として許容願います)のハナさん、そして家出した女子高生のミユキの三人組でした。この三人はそれぞれ、傷を負っている人たちでした。それは環境のせいもありましたが、自分自身のせいでもありました。
 冒頭に、ホームレスの人たちへの炊き出しに先立って、クリスマスに当たってキリスト教の集会で「牧師様の説教」というのがあるのです。牧師が講壇から賢明に説教しています。「世の中には、自分のいる場所がない人が大勢いる。そのような人のためにイエスさまはおいでになったのです。」と。でもそれは、牧師である私が見ると、何とも皮肉に聞こえます。「ああ、こうやって自分も歯車がかみ合わないまま説教しているのかなぁ〜」と。しかし、一方で「居場所」のない人の淋しさや切なさというものを多くの人が抱え持っているのは確かで、間違いのないものでもあると思います。大切な人たちとの関係が切れてしまっていて、とりあえずそれなりの居場所は持っているのだけれども、本当に心安らぐ居場所にはなっていない。
 ミユキちゃんのために、ゴミ集積場でクリスマスプレゼントになるものを探している時、赤ちゃんの泣き声が聞こえています。捨て子でした。ただ「オギャーオギャー」泣くばかりです。警察にとどけるはずが、同じような境遇を負っているハナさんが、自分たちで親元にこの子を届けると言いだし、そういうことになってしまいます。なんにも出来ない、ただ泣くしかない小さな赤ちゃん。クリスマスに出会ったからということで、「きよしこのよる」から「清子」と名付けられます。残されたカバンの中身から、清子の親を探して訪ねようとするのですが、どうも母親は水商売をしていたみたい。たどりたどって、右往左往しているうちに、不思議な出会いの連続となり、徐々に親元へ近づいていきます。その苦労の中、三人は自分たちの過去に向き合わせられることとなり、後悔と悲しみを抱えます。しかし、清子の泣き声にはっとさせられ、何とか本当の母親に清子を届けようとするのでした。
 これ以上はネタバレになってしまいますので、ひかえますが、私が一番印象に残ったのは、ただ泣くしかない小さな赤子の清子の存在が、愛する人たちとの関係が断絶して、孤独の中に身を置いている人たちを巻き込み、その断絶を癒し、再び出会わせ、関係を改めて結びあわせていくものとなっているという点です。みんな、自分の愚かさを悔いながら、でも、もう一度やり直してみようとするのです。映画ではことさら言われていませんが、そこには傷を負うことになった愚かな過ちに対する「ゆるし」が、ただ泣くしかない小さな赤子の存在そのものに表されているように、私には思えてなりませんでした。
 二千年前にイエスさまが誕生した時にも、赤子であるイエスさまは、やはりきっとただ泣くばかりの赤子、乳飲み子であったでしょう。しかし、その存在は、やがて十字架で釘打たれ、死んで行く使命を背負っています。だれもその事に気付いていません。主イエスさまがお生まれになってくださったことは、もうそこに「ゆるし」が訪れているということではないでしょうか。やがて十字架に架かりたもうこの幼子主イエスさまこそ、自らの愚かさと弱さと罪深さ故に、愛する人たちとの関係が断絶してしまったところを、そして本人はまだ気付いていないかもしれませんが、自分を造られた神さまとの関係も断絶してしまっていたところを、この幼子イエスさまこそが、新しく繋ぎ合わせ、結び合わせてくれるのだ、とクリスマスの聖書の御言葉は私たちに教え示してくれているのだと聞くのです。

※『東京ゴットファーザーズ』(今敏監督)は(株)ソニー・ピクチャーズエンターテイメントより、DVDが発売されています。またレンタル・ビデオやネット配信などでもご覧いただけると思います。よろしければ、ぜひどうぞ。
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