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ニコラウスは、キリストの神性の教義が確認され、ニケア信条がが制定され、イエス・キリストの誕生日が12月25日と決定された西暦325年のニケア公会議にも列席したという伝説があります。
公会議とは、全世界の主教が教会の最高指導者として集まり、信仰とキリスト教生活についての規範を決定する最高会議です。
西暦325年のニケア公会議はその第1回でした。
325年にはニコラウスはミュラの主教でしたから、本当なのかもしれません。
自分の列席した会議で決めたキリストの誕生日が、千数百年後に自分に由来するサンタクロースと結びつくとは「ニコラウスもびっくり」でしょうね。
ニコラウスは死後、ミュラに埋葬されましたが、トルコ人による破壊に遭ったため、1087年、南イタリアのバーリの信心深い船乗りによって遺骨はバーリに運ばれました。(現在もバーリのサン・ニコラ教会に安置されています。)
    
左:サン・ニコラ教会            中:聖ニコラウスの遺骨を収めた棺   右:バーリ

これによって、聖ニコラウス崇拝はローマ・カトリック教会にも伝わり、「船乗りの守護聖人」であったため、船乗りたちの手によって、河川・運河ルートで全ヨーロッパに広く伝わったのです。
特に、「乙女の守護聖人」の伝説と「子供の守護聖人」の伝説が結びつき、聖ニコラウスは「子供にプレゼントを呉れる聖人」のイメージが固まりました。
特にオランダ、ベルギー、ドイツの一部、オーストリアでは、12月6日の「聖ニコラウスの日」に聖ニコラウスが子供にプレゼントをする習慣が定着したのです。

冬至の前後に贈り物をするという習慣はキリスト教以前からあり、ローマ帝国のイタリアでは農耕神サトゥルヌス信仰が支配的でしたが、ジュピター信仰が支配的になるとサトゥルヌスは追いやられ、年に一度のサトゥナーリア祭だけとなりました。このサトゥナーリア祭は12月17日から24日まで続き、翌日が新年とされました。この祭りの間、人々はどんちゃん騒ぎをし、贈り物をし合いました。
また、聖ニコラウスに由来する習俗は、キリスト教化以前にあったケルト人、ゲルマン人などの異教の習俗と混交し、地域によってさまざまなプレゼントの贈り主と贈る日が定着しました。
ヨーロッパ各地では、冬至前後には、死者の霊が戻って来るとか、悪鬼が跳梁跋扈するとか、信じられていてそれに伴ういろいろな行事があったため、聖ニコラウスに由来する習俗もかなりおどろおどろしい色彩があり、良い子にはプレゼントがあるものの、悪かった子には鞭などの罰がある信賞必罰的な要素のあるケースもあったようです。

(近年になっては、アメリカで発展を遂げたサンタクロースがヨーロッパに逆輸入され、聖ニコラウスの日である12月6日などから12月24日や25日に贈る日が移動しているケースもあります。)

このような聖ニコラウス祭に変革をもたらしたのが、16世紀に始まった宗教改革と都市市民社会でした。プロテスタント教会は当然、聖人信仰に好意的ではありませんでしたし、村の共同体の宗教色の濃い祭りの行事は、都市市民社会では市民たちの世俗的な祭りの行事、家族の行事に変質していったのです。
特に土地が貧しかったため盛んだった漁業が造船業を産み、さらに海運大国となり、一方織物産業が発達したオランダでは、船乗りの守護聖人、織物職人の守護聖人、アムステルダムの守護聖人とされた聖ニコラウスの人気は、その世俗的背景から、高かったのです。

オランダの「東インド会社」に雇われたイギリスの探検家ヘンリー・ハドソンによって、1609年、現在のニューヨークが発見され、オランダは管轄権を主張して「ニューアムステルダム」と名付け、移民を始めました。1626年オランダはネイティブアメリカンから「マナハッタ」と呼ばれていたマンハッタン島を60ギルダー(24ドル)相当の品と交換して取得します。

オランダからの移民は当然ながら、オランダ化した聖ニコラウス祭を持ち込み、聖ニコラウスをニューアムステルダムの守護聖人としたのです。
聖ニコラウスはオランダ語では "Sint Nikolaas"(シント・ニコラース) ですが、"Sinterklaas"(シンタークラース) の愛称で呼ばれていました。これが後に英語化されて"Santa Claus"になったのです。

1664年第2次英蘭戦争でニューアムステルダムは英領となり、英国王チャールズ2世は弟のヨーク侯にこの土地を与え、ヨーク侯はこの地を「ニューヨーク」と改名しました。
オランダ領であった当時は「オランダ改革派教会」が公定教会でしたが、英領に変わり公定教会でなくなると、オランダ改革派教会は宣教に注力するようになり、世界に宣教師を派遣していきました。1860年前後に来日し、日本での初期プロテスタント宣教を担ったバラやブラウンは、このオランダ改革派の宣教師でした。
1776年、アメリカ13州が独立したころから、アメリカにはヨーロッパ各地からの移民が急増しました。
歴史がなく、多様な移民から構成された若いニューヨークを歴史あるものにし、一つの都市としてのアイデンティティーを創り上げようとした人物がいました。
ジョン・ピンタード(John Pintard 1759-1844)と彼の義理の兄弟で小説家のワシントン・アービング(Washington Irving 1738-1859)です。
ピンタードは1804年「ニューヨーク歴史協会」を創立し、ワシントンの誕生日、独立記念日、コロンブス記念日の創設に関わり、ニューヨークやアメリカの「伝統」「歴史」の創造に努めました。
彼はニューヨーク歴史協会のシンボルとして、ニューヨークの守護聖人として聖ニコラウスを起用し、宣伝に努めたのです。
このニューヨーク歴史協会のメンバーであったアービングは、1809年、ディードリッヒ・ニッカーボッカー(Diedrich Knickerbocker)のペンネームで「ニューヨーク史−世界の始まりからオランダ王朝の終焉まで」という著書を発表しました。この作品にはニューヨークの歴史に関連付けて聖ニコラウスを数多く登場させています。
ピンタードもアービングもオランダ系ではなく、イギリス系移民の子孫です。なぜオランダ渡りの聖ニコラウスを担いだのでしょうか。
膨張するアメリカ経済社会のなかで、比較的古い時代の移民の子孫たちは、それなりに成功し、比較的裕福な階層を形成していました。後から来た移民ほど低賃金労働者として貧困のなかにあり、旧移民と新移民の間に軋轢が生まれていたのです。
旧移民であったピンタード、アービングは、この危機感から、聖ニコラウスを担いだと考えられています。
アメリカに渡った聖ニコラウスは、聖ニコラウス祭というオランダ人の文化に結びつき、そのオランダ移民はニューヨークの建設者ですから、聖ニコラウスの物語は旧移民にも新移民にも、中産階級にも下層の労働者層にも「自分たちは、オランダ移民によって誕生した都市ニューヨークの住民である」との一体感を招来し、当時のニューヨークで深刻化していた階層間の対立を和らげる目的があったのです。
葛野浩昭著「サンタクロースの大旅行」岩波新書

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