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我が国では、サンタクロースはいつ現れたのでしょうか。

米国では、1823年に「クリスマスの前の晩・・・・」が発表されて爆発的に「St. Nicholas+贈物」の周知度が高まり、1863年にハーパース・ウィークリーに描かれたナストの絵から分かるように、サンタクロースの名が知れ渡っていたことから、幕末から明治初頭にかけて、来日していた宣教師たちが、サンタクロースの登場するクリスマスの祝会をし、これに日本人も招かれていたことは想像に難くありません。
しかし、明治6年(1873年)2月24日、切支丹禁制高札が撤去され、キリスト教が黙認されるまでは、厳重な制限下にありました。

佐波亘著「植村正久と其の時代」第2巻11章「我國に於ける最初のクリスマス」によれば、昭和7年、横浜市役所発行の横浜市史稿 教会編 p153 に、『蓋し、日本人主催のクリスマスは明治八年頃 東京銀座の原胤昭經營の女學校で行はれたのを嚆矢とする』との記載があり、これにより、佐波牧師が昭和11年(1936年)7月18日夕に原氏の自宅で聞き取りをしたとういう内容が記されています。

また、石井研堂著の「明治事物起原」の「クリスマスの始め」にも、戸川殘花の、この原のクリスマスについての談話筆記が掲載されています。(こちら

因みに、原胤昭(はらたねあき)は、嘉永6年(1853年)、江戸南町奉行所吟味方与力佐久間長興の子として生まれ、母の実家の南町奉行所年番与力原家の養子となりました。幼少期から剣術、書道、謡曲を習い、6歳からは国学、漢籍、算術、出陣太鼓など与力として必要な学問、技能を習得、14歳で江戸南町奉行所与力の職に就いています。
維新後、失職してからは、浮世絵商をしており、また、来日した米国長老教会宣教師クリストファー・カロザースが築地入船(後に新湊町)に開校した英学塾「築地大学校」に学びました。明治7年(1874年)10月18日、21歳で、同窓の田村直臣、戸田欽堂らとともに同宣教師から洗礼を受けています。
また、同年同月同日、原と田村、戸田欽堂は東京基督公会の安川亨らを加え、11名で東京第一長老教会(現日本基督教団芝教会と同巣鴨教会の前身)を設立。また同年、原と戸田欽堂は銀座通りにキリスト教書店「十字屋」を開業しています。
なお、原は後年、日本初の教誨師として、社会運動家として活躍しています。

原は受洗感謝の催しとして、クリスマスに築地にあったカロザースの妻ジュリアの運営する女学校『A六番女学校』においてクリスマス祭を開きました
この準備には相当な労力と費用をつぎ込んだようです。また、原の「顔」でフルベッキなど宣教師のほか大勢の人々が集まったようです。

サンタクロースについては、是非共日本風の趣向でやろうということで、「裃(かみしも)をつけ、大小(の刀)を差し、大森カツラ(シュロで作った粗末なカツラ?)をかぶり、殿様風の身拵え嚴しき扮装」のサンタクロースを登場させました。ここに登場したのが、日本人による日本最初のサンタクロースであったとされています。
このときのサンタクロースに扮したのは武蔵国忍藩の藩士の子で、幕臣戸田家の養子となった戸田忠厚でした。戸田忠厚は1877年に受洗、同年、千葉県において伝道者として活動を始めています。

「植村正久と其の時代」第2巻11章「我國に於ける最初のクリスマス」はこちらをご覧ください。

『A六番女学校』は、ジュリア・カロザース宣教師が築地外国人居留地六番の地にA,B2棟の宣教師館を建て、A棟を女子教育の学校として明治3年(1870年)開校したもので、後に明治9年(1876年)原胤昭らが引き継ぎ、原女学校として銀座三十間堀河岸に新校舎を建設。新栄女学校、櫻井女学校を合併して明治23年(1890年)、『女子学院』と改称し、麹町区(現千代田区)上二番町に移転、現在に至っています。
この頃から、クリスチャンホームやミッションスクールでクリスマスの行事やクリスマスプレゼントが急速に普及し始めたようです。

明治33年(1900年)には「さんたくろう」という童話が教文館から出版されています。日曜学校生徒向けの読物。著者は新聞記者で、後の神戸新聞社社長の進藤信義です。全文はこちらでご覧になれます。
プレゼント満載のかごを背負ったろばを連れたさんたくろうの挿し絵には"SANTA CLAUS"とも明記されています。
あらすじ
ある北国の山里にクリスチャンで農業を生業とする父親と養蚕をする母親と3人で暮らしていた峰一という子供は、ある吹雪の日、父親と行き倒れの旅人を見つけ、家に連れて帰り家族3人で神に助けを祈り、介抱した。その甲斐あって、旅人は蘇生、旅人は一家に感謝したが、父親は神に感謝するよう勧めた。旅人が「家には八百万の神を祭っていますがお礼はどの神さまに致しましょうか。」というので、父親が「天に在ます全知全能のただ一人の神さまにお礼をおっしゃい」と勧め、旅人の「じゃ何ですか。私共が日々拝んで居るのは、あれア偽(うそ)の神様で御座りますか」との問いに「いかにも偽(うそ)ですと答え、罪の悔い改めを説き、救いの門に入る方法を詳しく話して聞かせた。
旅人は喜んで帰って行った。その年も暮れ、翌春も過ぎた頃、父親が重い病に罹り、農作業ができなくなった。母親も看病のため一家の収入が途絶えた。やがて、父親は快復したが、生活はどん底でクリスマスを祝うどころではなく、峰一もプレゼントを貰える見込みは全くなかった。
すると、クリスマスの夜、戸を叩く音がし、戸を開けると、件の旅人が若者を引き連れ、3人の親子に沢山の贈り物を届けに来ていた。
峰一へのプレゼントには次のような手紙が添えられていた。
   


この童話のテーマを「善因善果」とみて、日本の民話「笠地蔵」の類話との見方もあるようだが。。。。。。そうかな。
奥付の印刷者の住所が「東京府豊多摩郡澁谷村大字上澁谷一番地」というのが、明治らしい。今のどの辺かな



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!!!!!!!以下、要書き直し!!!!

(以下は2004西東京教区HPより)

クリスマス、おめでとうございます。
みなさんのところにサンタクロースは来ましたか?

「来た〜!」という方も、「来なかったよ〜」という方も、クリスマスのこの日、あらためてここにサンタクロースの恵みを祈るものです。

「サンタさん、来たよ〜」という方、プレゼントは何でしたか?
目に見えるプレゼントって、やっぱり嬉しいものですね。
でも一番嬉しいのは、そのプレゼントに込められている、私たちを大切に思ってくれる心〔愛〕を受け取った時ではないでしょうか。
プレゼントの背後にある目に見えない愛は、信じる時に初めて見えてくるのです。
『ザ・サン』でも、「この世でもっとも真実なことは、おとなにも子供にもみえない」ものだけれど、それは「信じること、詩、愛、ロマンスだけが、そのカーテンを引いて、そのむこうにある素晴らしく美しいもの、輝きをみることができ、描くことができる」と教えてくれています。
あなたのことを大切に思ってくれるサンタクロースはきっといるはずです。
「来なかったよ〜」という方にも、もしかしたら目に見えないプレゼントが届けられているのかもしれません。

昔、はやった歌に「恋人はサンタクロース」というのがありましたが、聖ニコラウスよりももっと前にさかのぼるサンタクロースの元祖、本家本元が聖書に記されています。

私たち一人一人を何よりも大切にしてくれて、私たちを罪の縄目から解き放ち、自由な人として生きることができるように御子イエス・キリストをおくってくださった神様、その方こそ、究極のサンタクロースではないでしょうか。
元祖であり本家本元のサンタのプレゼントは、2000年の時を超え、今もわたしたちに確かに届けられています。
ユダヤの国ベツレヘムという小さな村の馬屋の中の飼い葉桶に寝かされている小さな赤子は、あなたのため、全人類のための究極のプレゼントなのです。

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