キリスト教の歴史

イエス・キリストは、紀元前4年頃古代ローマ帝国支配下のユダヤに生まれ、30才を過ぎてから公の活動をはじめ、紀元後30年頃十字架刑で殺され、三日目に復活されました。
そして復活より50日目の聖霊降臨の出来事によって、イエスこそ旧約聖書で予言されていた救い主キリストであると信仰告白する教会が誕生しました。これがキリスト教の始まりです。

その教えは2世紀中頃までに、使徒達によりユダヤから地中海一帯へ伝えられました。その時、使徒達によって記された文書がまとめられ、新約聖書となりました。

キリスト教は、ユダヤ人律法主義者からの憤激、ギリシア人知者からの嘲笑、ローマ人支配者からの弾圧を受け、殉教者を出しながら、かえって根強く布教され、またギリシア・ローマの知恵を学び取りながら、自らの教義や制度を整えていきました。使徒信条の原型ができたのも2世紀中頃のことです。

4世紀初め、キリスト教がローマ帝国で公認され、4世紀末に国教となると、教会は当初の自由な信仰共同体から国家と結びついた組織へ変質せざるを得ませんでした。4世紀末、ローマ帝国東西分裂に伴い、教会も東方教会と西方教会に分かれることとなりました。東方教会は長く続いたビザンティン帝国と共に発展し、ギリシア・ロシア正教会として、今日も独特な教義・典礼・修道の伝統を守っています。西方教会は西ローマ帝国滅亡後もゲルマン諸民族のうちに浸透し、中世西ヨーロッパにおけるローマ・カトリック教会の支配体制を確立していき、13世紀には、その政治的・文化的最盛期を迎えました。

16世紀になると、ルターやカルヴァンなどが宗教改革を起こし、ローマ・カトリック教会の教えや制度を聖書の教えに沿ったものに戻そうとしました。「信仰のみ」「聖書のみ」を旗印として押し進められた宗教改革でしたが、この宗教改革によって誕生したのがプロテスタント教会です。プロテスト(【protest】抗議。異議申立て。)する者たちの教会ということで、プロテスタント教会と呼ばれるようになりました。プロテスタント教会には多くの教派が生じ、今日に至っています。

私達の教会は、日本における最大のプロテスタント教会の合同教会である日本基督教団に属する教会です。


*******************************************************

「宗教改革」、「プロテスタンティズム」については、当教会の竹原創一長老(立教大学文学部教授)が、『岩波哲学・思想事典』に執筆されたものを転載しましたのでご覧ください。(こちら