2014年10月26日召天者記念礼拝
説教「天に一人を増しぬ」 山本 圭一 牧師
聖書:

創世記          15章1〜6節
ヘブライ人への手紙  11章8〜16節
 私たちの人生は、旅であります。従って私たちは、皆、その旅人であります。古い日本の長者たちは、いろいろ旅に寄せて言い表わしました。「月日(げつじつ).は百代(はくたい)の過客(かかく)にして行きかふ年もまた旅人也」 これは有名な『奥のほそ道』の言葉であります。日本の旅の中には、多くのことを考え、また探し、自然と接し、旅の味わいを伝えた多くの人々がおりました。あの俳人、芭蕉。彼は「旅人と、わが名呼ばれん、初時雨(はつしぐれ)」という有名な俳句を作りました。自分は生涯の旅人である。東北の地へさすらい出て、旅立ったとき、それはすでに冬の最中でありました。
 今日の旧約聖書の御言葉にあるアブラハムも旅人でありました。旧約聖書によりますならば、彼は行く先を知らないで神のお召しに服従をし、出発しました。かつて我らの父祖アブラハムは、カルデヤのウルを出発し、行く先も知らずに旅に出た、そう聖書に記されております。“行く先も知らずに”、アブラハムには旅の多くの不安があったに違いありません。そして、旅に伴う多くの労苦、その乏しい衣食の中に味わう深い苦難があったに違いありません。
 先ほど述べました芭蕉も、彼は永遠の旅人として旅に出たのでありますが、春に江戸を出発し、殺風景な男所帯から、お雛様を飾る家にそのうちに変わるだろうと、一軒一軒道ばたにある貧しい田舎の家を訪ね訪ね、その前を通り過ぎてまいりました。彼はその旅の中で、野垂れ死んでしまうかもわからない、「道路に死なん、これ天命なり」、たとえ旅の途中で死んでも、それは天命であって悔いはない、彼はそう心に信じておったのでありましょう。彼は、旅を続けて、あの那須にやってまいりますと、そこにはかつて、西行法師が腰を下ろした柳の木の下に彼もまた感慨深く立ち留まりました。そこで瞑想しておりますと、いつのまにか田植えが終わってしまって、芭蕉一人がぽつんと取り残されていました。「田一枚、植て立去る、柳かな」、彼はそうそこで詠んだのであります。
 私たちの旅の情感は、私たちにも、そして聖書の中にあらわれてくる多くの人々にも、同じような感慨を与えた点があったと思います。このヘブル人への手紙の11章の8節以下において、アブラハムを取り巻く人々は、砂漠の中を進み行く長い長い旅路に、誰しも不安を持っていたに違いありません。しかし、その不安を乗り越えて、その旅を押し進めていった力は、どこにあったのか。それは神がお召し下さった旅路である、その神の召しを信じ受け入れているが故に、彼はその旅を多くの困難と不安の中にも進み行ったのであります。「召しを信じて」これは私たちにも共通する実に驚くべきことであります。私たちの人生も、その一歩一歩を導かれて、旅を続けて行く、それが私たちの人生であろうと思います。
 ところで、このアブラハムは、先のヘブライ人への手紙を読んでまいりますと、9節「アブラハムは、他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住んだ」そう書かれております。長い砂漠の旅を歩き続けては休み、またその旅を始める。しかし、その休みは、旅のしばしの休みでありました。そこに自分の生活の居を定めて定住する、そういうことではありません。仮の住まいであります。その住まいの中で、彼らは再び衣食を整え、人々の様子を確かめたことでありましょう。そうして他国に宿るようにして、しばしの仮の住まいを休んだのであります。しばしの定住、居を定めて進むと同時に、それは仮の住まいであった。定住と仮寓。考えてみるならば、この二つの様式は、皆さま方お一人お一人の人生にとりましても、我々の居住は、この定住と仮寓、その二つの様式の中を歩み続けてゆくものであると思います。私たちは、自分の居を定めるためにも、悩み、考えることが多くありましょう。やっと居をかまえたとしても、必ずしも万全ではなかったということも起こるかもしれません。砂漠の中で彼らが幕屋の中に住んだ、このしばしの住まいでありましたけれども、それはまさしく仮の住まいでございました。私たちはこうした仮寓と定住の二つの様式の中に、私たちの人生は形づくられているのであります。
 さて、今日の礼拝は、私たちの教会が召天者記念礼拝として営むものであります。小金井の地にある小さなキリストの群れが、やがて50年にわたる歩みを続けるうちに、互いにキリストにある交わりを与えられ、日曜ごとに、礼拝のために共に教会に集まる、そのことを文字通りゆるされています。しかし、これは一見当たり前のように思われるかもしれませんが、よく考えてみるならば、それは並大抵のことではありません。親兄弟であっても、週に一度顔を合わせることは、ほとんどないでありましょう。しかし、私たちは礼拝に召し出されて、日曜ごとに顔を合わせることをゆるされています。そのために私たちは週日の生活を整え、この日曜日の礼拝を重んじて生きる、そこに大きな祝福と喜びが隠されております。これは実に、お一人お一人にとりましても、代えがたい、尊い営みであると思います。そしてヘブル書の11章の12節には、「死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれる。」その旅の祝福の中に、神は大きな祝福を与えられたのであります。この私たちの礼拝の中にも、神の大きな祝福が満ち満ちているのであります。
 しかし、教会の交わりの中にある者は、13節にありますように、「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。」そう書かれております。旅の終わりに待ちかまえているものは何でしょうか。それは生命の終わりである「死」であります。悲しく辛くとも、その現実は動かないのであります。しかし、私たちは死を誰一人として経験した者はございません。死を経験する時、それは私たちの経験を絶する、事柄であります。死を想像し、恐れ、暗い人生の谷間に突き落とされる、そういう恐れが実は私たちの人生の深いところに隠されております。しかし彼らは皆、信仰を抱いて死にました、この一言は、不安定な旅路の中における、不安定な私たちの人生の中における、一つの大きな出来事であります。信仰を抱いて死んだ。皆さんお一人お一人の人生を顧みたときに、それもまたここで言われているように、信仰を抱いて死んだ、その兄弟である、その姉妹であるということが、そこに書き記されているのであります。
 私事について話すことは慎まなければなりませんが、お許しをいただきたいと思います。私の生きた世代というのは、まさに戦争、戦争の連続の時代でありました。歴史を少し顧みますと、日本が日清、日露の戦争を経験をし、更に満州事変、日中戦争、太平洋戦争と、ほとんど切れ目なく次々と戦争が私たちの時代に襲いかかってきました。私たちの世代はまさにそうした戦争の波の中に青春を迎え、青春を送った世代であります。今の幸福な、平和な時代に生きる若い人々には、そういう時の深刻な人間経験は、あるいは分からないかもしれません。今生きる私たちの人生の歴史の中には、そうした戦争の過酷なしるしが一人一人の中に刻まれているのであります。
 私も、士官学校を卒業して、偵察機のパイロットとして、北満の地チチハルに向かい、そこで任務を与えられました。やがて戦争はいよいよ激化し、ソ連が北方から攻め込んでくる、その時にアムール川を遡っていくロシアの砲艦を、どうしても脅威として排除しなければならない。そのためにこれを攻撃する特別攻撃命令が関東軍の中枢より私たちの部隊に下りました。そして私は同志のパイロット5名と共に、このロシアの砲艦を撃沈すべく、特別命令を与えられ、その準備に取りかかりました。その時に、運命か摂理か、あの8月15日、敗戦の日を迎えたのであります。それまで多くの戦いに行く人々は、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」、戦争に行く者は死ぬことを明確に自覚しなければならない。この諦めの境地に徹する、こういう辛い悲しい決断が、若い人々にも、さか壮んなる人々にも、戦いの中に行く者には、浸透していったのであります。
 しかし、そうした死の事実が形を変えて私たちの人生の終わりにあるということは、何と不可解なことでありましょうか。ロマ書6章の23節には「罪が支払う報酬は死である」、という有名な言葉が記されておりました。私たちの人生には前もって、死に先だって、罪が入り込んでいて、その罪によって私たちは神との交わりを断絶し、また愛する人との交わりを断絶する、そういう悲しい定めを持っているのであります。ですから、私たちは罪が支払う報酬である死、このことを考えますと、私たち一人一人の死は、決して自然現象ではない。神と断ち切られる。親しい者と断ち別れる。そうした倫理的な、重要なテーマが、この「死」の中にはあるのであります。
 そのことを私たちは覚えるときに、この聖書に出てまいります「主の日」という事柄が死に関連する出来事として記されております。主の日、これは聖書の中にもいろいろなところに散らばっております。たとえば、コリント後書の1章の14節には「主の来られる日」として、この主の日が記されているのであります。私たちが人生の終わりに迎えるこの死は、実は主イエス・キリストにお目にかかる、その日であるのだ。ですから、私たちは死という事実に、非常に恐れを持っておりますけれども、主にお目にかかる、主がおいでくださる、あきらかにおいでくださる、それが人生の終わりの死である。死はキリストが再びおいでくださるその日に、私たちがキリストにお目にかかる、その時こそが死であるのだ、ということであります。ですから私たちは主にお目にかかる、そういう時が主の日として私たちの一人一人の人生に与えられ、備えられている。そのことを心の中にはっきりと覚えたいのであります。
今日の記念礼拝に、素晴らしい信仰の詩をご紹介いたします。それはサラ・ゲラルドナ・ストックという英国の名もない一人の信仰の人でありますけれども、その方が作った一つの詩であります。「家には一人を減じたり 樂しき團樂は破れたり 愛する顔平常の席に 見えぬぞ悲しき さはれ天に一人を揩オぬ」私たちが死別する家族、その悲しみによって私たちの人生の交わりはどれほど深い悲しみの中に、破れの中に突き落とされることでございましょうか。しかし、その家に一人を減じた、家に一人が減ったということは、私たちにとりましては、天に一人を増した、そのことと深く結びついているのであります。そしてこの詩は実に麗しい言葉をもって最後に語りかけます。「家に一人を揩オぬ 分るゝことの斷えてなき家に 一人も失はるゝことなかるべき家に 主イエスよ 天の家庭に 君とともに坐すべき席を 我ら全てにも あたへたまへ」こういう言葉をもって閉じられております。私たちは信仰の事柄を考えてまいりましたときに、この地上における私たちの互いの交わり、主イエス・キリストによって与えられた見える教会における交わり、それを一人一人が与えられております。大きな具体的な感謝であります。しかし、それだけが教会ではない。見えざる教会があるんだと。天にある見えざる教会がある。インビジブル・チャーチ(Invisible Church)というものがあるんだ。そして私たちには、この見える教会と見えざる教会の相呼応する交わりの中に、我々一人一人は、実は今、生かされている。そのことをこの詩をとおして心の中に刻みたいのであります。
 教会堂の祈祷室に、召天者のネームプレート38名の方の名前を記されております。これは私が、かつてヨーロッパ旅行の時にパリにまいりまして、ある古いカトリック教会への道を歩んでおりましたときに、その道のそばにたくさんのネームプレートが掲げられておりました。それは石膏で焼かれたものでありました。それを見て、私は非常に感慨にふけったのであります。このパリの教会は、確かに立派な会堂を持ち、多くの人が集まってくる教会であろうけれども、しかしここに名前を連ねているように、多くの人が見えない教会の中に、見えない主イエス・キリストの交わりの中に生かされている。それが相共に日曜日ごとに礼拝を守っているのだ。ですから私たちはこの礼拝において、自分一人のことではなく、親しい私たちのすでに天に召された親兄弟、友人知人、そういう人たちをまさしく覚えることをゆるされているのであります。そうした豊かな交わりの中に、我々一人一人が導かれているということ、これこそが実は 私たちに与えられた神からの大いなる祝福であります。
 今、私たちは天にある見えざる教会と、地にある見える教会、それが相呼応して讃美を行い、神の祝福の中にあるという信仰と思いの中に、皆さま方の親しい方々、過ぎ去った召された方々を心に覚えていただきたいのであります。そしてその方々が、教会の交わりの中にかつて加わらなかった方であったとしても、実は私たちはそうした人々のことをも同時に覚えることができる。ですから今日の召天者記念礼拝は、直接我々の教会の交わりの中で召された38名の方たちだけではなく、皆さま方それぞれお一人お一人の家庭の中で天に召された、そういう方々のために教会がとりなしの祈りをささげ、深い交わりを覚える日である、そういうことも同時に覚えていただきたいのであります。