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礼拝順序へ洗礼へ諸式へ

 

聖礼典(聖餐)  

1.キリストの定められた聖礼典
 聖餐はイエス・キリストが最後の晩餐の時に定められた聖礼典です。
 主イエスは最後の晩餐の席で、次のように言われました。イエスは引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」  また食事の後で、杯も同じようにして「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。(一コリ11:23-25) この主の言葉に従い、聖餐としてパンとぶどう酒を頂きます。主が命をもって与えて下さった「新しい契約」を新たに覚え、契約を破った罪を深く悔い改めます。そして、主がそれでもなお保って下さっている契約に立ち帰る時です。主の十字架の御苦しみを覚え、私という人間を救うために如何なる犠牲がはらわれたのかを覚え、その救いと恵みに如何にして応えていくかを深く心に刻む時であります。それは主に倣って歩むという応答となります。

2.主の食卓
 聖餐は、やがて終末の時がきて、御国での神の食卓(大宴会/ルカ13:29)に着く恵みを先取りしているものです。
聖餐は主の食卓です。礼拝そのものが主の食卓ですが、それを更にはっきりと目に見えるしるしとしてあらわしているのが聖餐です。食卓の主人は主イエス・キリストです。主がパンを裂いて渡して下さり、主が杯をまわしてくださるのです。それは命のパン(ヨハネ6:35)であり、永遠の命に至る水(ヨハネ4:14)を頂くことです。主の食卓は、あらゆる違い(生活環境、能力や功績)に関わりなく、等しく糧をあたえられる所です。
 そこに一つとなるという教会の一致があります。たとえ国が違い、言葉が違い、生活習慣が違おうとも、共にパンとぶどう酒を頂くことにおいて一つとなり得るのです。

3.信仰の奥義(おうぎ)
 聖餐は、信仰の奥義(ギリシア語でミュステーリオン:神秘)をあらわすものです。それは覆いを掛けられて見えなかったものが、覆いを取り除かれて見えるようにされるという「啓示」によって知らしめられるものです。奥義とは信仰の真髄とも言い得るものです。それは十字架の犠牲をもって自分に与えられようとする神の愛を見出し、受け取ることです。それは極めて実存的なものであります。すなわち、他人事として、あるいは第三者的客観的なものとしてとらえられるのではなく、他の誰でもなく、この自分の生き死にに関わる事柄として、私のために備えられているものとして、パンとぶどう酒を見出すことです。

4.陪餐の仕方
 聖餐においてパンと葡萄酒のいただき方は、元々は司式者の前に陪餐者が一人一人進み出ていただくものでした。多くの会衆が聖餐にあずかる必要が出てきて、会衆席に配られるようになりました。そこでは配られたらすぐに各自でいただくのが一般的です。しかし小金井緑町教会では、全員にパンや葡萄酒が配られてから、御言葉と共に全員で同時にいただく形をとります。
 それは聖餐が個人に与えられる特別な恵みであると同時に、教会という信仰共同体・契約共同体に与えられた恵みとして、一致と連帯を覚えたいからです。

5.未受洗者に対して
 聖書の示す福音は、常に関係性を問うものであります。神との正しい関係を、イエス・キリストによる新しい契約を結んで持つように教えられています。それは洗礼を受ける(幼児洗礼の方は信仰告白をする〔堅信礼〕)ことです。その上でこそ、聖餐は意義を持ちます。ですから、まだ洗礼を受けていない方、あるいは幼児洗礼を受けていても信仰告白(堅信礼)をしていない方は、パンと葡萄酒は取らないで下さい。

 まだ洗礼を受けていない求道者にパンと葡萄酒が与えられないのは、神の恵みからの排除や差別だとして、洗礼を受けていない人にもパンと葡萄酒を配る教会もあります。しかし、小金井緑町教会は、イエス・キリストの十字架と復活による新しい契約を洗礼において結んだ者(そのような関係を主体的・責任的に結んだ者)においてこそ、聖餐が意味を持つものであると考えます。

 未受洗者、すなわち契約関係をまだ持っていない人に対して、形だけ同じくしてパンと葡萄酒を与えることは、その人の持っている主体性や関係性を無視し踏みにじることにもなると考えます。それは教会として決して求道者に誠実に向き合い、福音を証ししていくことにはならないと考えます。また洗礼のあるなしに関わらず、その時その時の信仰の判断で聖餐にあずかるよう勧める教会もあります。しかし、浮き沈みする思いによって聖餐を受けたり受けなかったりするのは、自分自身が聖餐にふさわしいかどうかを判断する者となっており、聖餐という食卓の主人に自分がなってしまうことになると考えます。

 聖餐において、主イエス・キリストと自分がどのような関係であるのかが肝要となります。最後の晩餐の席で主イエスが弟子たちの足を洗われた時、次のように言われています。「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」(ヨハネ13;8)。聖餐は主に洗っていただく(洗礼)という「かかわり」の上で行われるものです。

6.聖餐の式順
讃 美: 聖餐にあずかる感謝の讃美歌を歌います。この時、陪餐カードを配餐長老が集めます。
式 辞: 聖餐の意義が告げ知らされます。
制定語: 最後の晩餐の時に、主が聖餐を定め給うた御言葉にあずかります。
招 詞: 聖餐への招きです。
配 餐: 御体なるパンと、御血なる葡萄酒が配餐長老によって配られ、配り終えた後御言葉と共に全員で同時にいただきます。
感謝祈祷: 司式者が感謝の祈祷をささげます。

式文が用いられます。

7.司式者
 司式は、按手(あんしゅ)を領した牧師が執り行います。
 通常は日本基督教団の正教師たる教会の主任担任教師(教団の教憲・教規に従い)が執り行います。
 旧約聖書の祭司の任職に準じ、教会は特に御言葉に仕える奉仕者、すなわち説教者及び聖礼典の司式者として牧師を按手をもって立ててきています。

8.小金井緑町教会が聖餐に用いているパンと葡萄酒 
<パン>
 市販の食パン(薄切り)を型で直径2cm程に丸く抜いたものを用いています。
 多くの教会では食パンを賽の目に切ったものを使っているようですが、丸いパンをスライスしたものや、丸いパンを陪餐者が千切って受けるなど様々のようです。
 カトリック教会や聖公会、一部のプロテスタント教会では「ホスチア」と呼ばれる直径3cm程のウェハース状の無発酵パンを用いていますし、正教会ではプロスフォラと呼ばれる発酵パンを使っています。

<葡萄酒>
 小金井緑町教会は聖餐の葡萄酒にカトリック教会がミサで使っている"VINO DE MISA"というスペインのカタルーニャ地方で醸造されたローマ教皇庁御用達という赤葡萄酒を使っています。四ツ谷のドンボスコ社などで購入できます。
 未成年やアルコールに弱い陪餐者用に葡萄液も用意しています。スーパーなどでも買える”ウエルチ”の葡萄ジュースは、(禁酒法の最中の)1869年、ニュージャージー州の医師T.B.ウェルチ博士が、教会の聖餐式に、未発酵のワインを使えないかと考え、試行錯誤の後、製品化したとのことです。
 



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