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プロフィール

 小金井緑町教会は1965年(昭和40年)富士見町教会の関係教会として創設されました。

 米国改革派宣教師ブラウン、米国オランダ改革派宣教師バラに師事し、薫陶を受けた植村正久牧師によって1887年(明治20年)に創設された富士見町教会(東京都千代田区)は、「子を生む教会」として、東京の山の手を中心にまた満州において多くの教会の創設に関わってきました。
 太平洋戦争後は、この働きが休止していましたが、1965年(昭和40年)富士見町教会の副牧師であった山本圭一牧師と同教会の信徒9名が中心となり、「小金井緑町伝道所」が創設され、同年12月25日に第1回の礼拝が行なわれ開拓伝道がスタートしました。
 以来、今日に至るまで、小金井市緑町4-16-33において、宣教活動が続けられています。

 1966年(昭和41年)3月、伝道所としての承認を得て、正式に「日本基督教団小金井緑町伝道所」となり、1967年(昭和42年)5月、第二種教会の承認を得て、「日本基督教団小金井緑町教会」となり、1967年(昭和42年)10月に宗教法人としての認証を受けました。 2015年(平成27年)11月には、承認を得て、念願の第一種教会になることができました。

 1966年(昭和41年)3月、現教会敷地を所有していた信徒から土地の寄贈を受け、1970年(昭和45年)4月、現会堂が竣工しました。

 会堂は、東京工業大学教授谷口汎邦博士の設計による大きな屋根を持つ平屋建てで、建築面積231u(70坪)の木造和風の建物です。小金井緑町教会の伝道や働きが、日本の伝統や文化から遊離することなく、伝統的な文化との調和をもって豊かに展開されていくことを願う願いが形となっています。

 会堂は、礼拝堂集会室和室会議室、玄関ホール、厨房、手洗所から構成されています。(平面図
礼拝堂内の両側面は床から天井まで一面の障子となっており、やわらかな薄明かりが会堂を満たします。静寂という言葉が似合う和風の会堂で、正面の壁には和紙が格子模様に貼られています。よく見ると、そこかしこに十字架がひそやかにあらわされているのです。

 その和風のユニークな建物は、写真集「日本の教会堂<その建築美と表情>」や「The Place Where God Dwells <An Introduction to Church Architecture in Asia>」にも収録されています。

 会堂新築に伴い、1970年(昭和45年)9月、リードオルガン(ヤマハ5号型)を設置・奉献しましたが、更なる音楽環境向上のため、1989年12月、ドイツAHALBORN社製のDS26型電子オルガンを設置・奉献しました。
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 会堂内の床は土足可として設計、建設されましたが、当初は周辺道路が未舗装で雨の日は床が泥だらけとなったため、土足不可、スリッパ使用に変更せざるを得ませんでした。しかし、会員の高齢化に伴い、バリアフリー化なども考慮し、創立50周年記念事業の一環として床工事を行い、2014年9月土足可(和室を除く)に戻しました。
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 丸太の門柱に続くエントランスは御影石が敷き詰められ、両脇は花壇となっています。
敷き詰められた御影石は、東京都交通局から払い下げを受けた都電の線路の敷石です。やや不揃いで多少の凹凸があり、暖かみが感じられます。

 2007年4月には、念願であった教会墓所を所沢聖地霊園に設置しました。

 教派的伝統としては、植村正久牧師に繋がる長老改革派教会の流れの中にありますが、開拓伝道のなかで、この旗幟を鮮明にするため、教会規則に「この教会は日本基督教団の教憲、教規およびこの教会規則の定めるところに従い、かつ教憲、教規を逸脱しない範囲において長老改革派教会の伝統に則り、教会的機能および教務をおこなう。」と定めています。

 山本圭一牧師は、70才を迎えた1995年(平成7年)に、近い将来の隠退を表明、長老会を中心に牧師館の改築なども含めた牧師交替の準備を進め、1998年(平成10年)4月、山畑 謙牧師を招聘し現在に至っています。


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